下垂体腫瘍闘病生活記14【脳神経外科入院8 11月20日】手術日!
さあ!手術当日です。
いつにもまして長文です^^;
↓目次をちょっと分かりやすく変えてみました。(過去記事も変えなきゃ・・・)
下垂体腫瘍闘病生活記 もくじ
下垂体腫瘍闘病生活記 カテゴリ全部
01.プロローグ 【発覚から地元病院簡易検査まで】
02.精密検査(前編) 【下垂体腫瘍概要・脳神経外科問診・内科・眼科・必要メモ】
03.精密検査(後編) 【MRI検査・血液検査結果・手術の説明・セカンドオピニオン】
04.新しい病院へ 【本命病院での脳神経外科・内分泌内科の問診】
05.内分泌内科入院1 【入院前日から初日まで】
06.内分泌内科入院2 【入院2日目負荷試験から退院まで】
07.脳神経外科入院1 【初日】
08.脳神経外科入院2 【2日目 採血と肺機能検査】
09.脳神経外科入院3 【3日目 CT撮影】
10.脳神経外科入院4 【4日目 MRIと引越しと手術前説明会】
11.脳神経外科入院5 【5日目 手術当日の流れと麻酔の説明】
12.脳神経外科入院6 【6日目 土曜日の病院生活】
13.脳神経外科入院7 【7日目 手術前日】
14.脳神経外科入院8 【8日目 手術当日・ICU】(このエントリ)
【11月20(月)(入院8日目)手術当日】
普段どおり7時前に起床。
7時半くらいに、手術室まで付き添ってくれる看護師さんがいらっしゃる。手には必要書類やらMRIやらの写真をたくさん持っている。落ち着いた方で、こちらの緊張もわかっている感じ。
「寝られましたか」と聞かれた。
少し緊張していたが、おそらく体力勝負だと思っていたので無理やり寝たと答えた。
説明があったとおり、副腎皮質ホルモンの補充点滴を行う。
点滴の針は前日のものが刺したままであったため、チューブの付け替えだけであった。
これは3・4日つけたままで使い回しができるそうだ。
妻と家族が登場。
サージカルストッキングを履く。一度裏返したりしないと履けないらしく、ちょっと迷うが、何とか履く。
ちょうど足裏の指の付け根あたりが穴になるように履くらしい。
当初、家族とは病室で見送り・お別れ、という計画だったが、手術室前まで来ても大丈夫とのことであったため、8時15分に一緒に移動開始。
エレベータに乗った際、看護師さんに
「緊張していますね」
といわれる。
妻も兄も
「そうだねー」
と笑う。
どうも顔がこわばっていたらしい。
「そりゃ緊張するよー、はじめてだもん」
と私も笑う。ちょっとほぐれる。
2Fについて少し歩くともう、手術室前。
写真を撮ったりして、「じゃーねー」と別れる。徒歩。
よくドラマなんかにある、ストレッチャーに乗せられて手を握りあう、なんてシーンの深刻さは微塵もない。
でも、これだけ気楽を装ってくれると、気持ちも軽くてすむので助かった。
付き添いの看護師さんと2人だけで手術室の自動扉を抜けて歩く。
手術室の前に準備室があるとは聞いていたが、思っていたよりかなり広い。
いろんな手術の為の準備室、手術室がたくさんあるようだ。
さすがは大学病院。
20mほど歩いて、準備室の前で止まる。
麻酔医の方と、準備室担当の看護師さんがいらして挨拶の後、名前と血液型の確認を行う。
「右鼻からのアプローチですよね?」
と聞かれるが、術前の説明では特にそのような説明はなかったので、
「あ、片方だけで、右なんですねぇ」という感想。
書類には右に○と書かれてあった。
両鼻から穴を開けるわけではないならしいので、それがうれしい。右でも左でもどちらでもよかったが、初見というのを知って看護師さん、麻酔医さんはうろたえていた。
ので、私はぜんぜん大丈夫である旨伝えた。
しばし待たされる。
付き添いの看護師さんは書類などを引き継ぎ、「がんばってください」とエールを送ってくれて引き返す。
しばらくして準備室に呼ばれたのではいる。
準備室というよりかは、エントランスか土間のような位置づけのところ。
手術にかかわるスタッフさんたちが忙しく行きかっている。
壁際にストレッチャーが置かれており、その周りをカーテンで仕切ることのできるようになっているスペースがあるり、そこに招かれる。
ストレッチャーの上には術衣が人の形になって敷かれている。
思ったよりストレッチャーは幅が広い。病室のベッドよりすこし狭いくらい。
高さは腰がかけられるくらいまで調節してある。
準備室担当の看護師さんにそこに座るように促される。
尻の下の緑色の術衣、これは背中側の半分のようだ。
その下に毛布。どちらも布団乾燥機にかけた様な温かさ。
ポカポカで肌触りもドライで非常にここちよい。
腰をかけたままの状態でパジャマの上着を脱ぐように言われる。
同時に壁際を囲むようにカーテンが閉じられる。
脱いでいる途中で、やわらかく、厚みのある、これもホカホカの2枚折の大きなシーツのようなもので首から下を前から覆われる。
そのままストレッチャーに仰向けになるように指示され、シーツも上から被せられる。
このとき看護師さんはシーツを持ったまま。
胴切断の手品をするときみたいだと思った。
この状態から下着もろとも下半身をすべて脱ぐ。
上から術衣の上半分が被せられ、シーツが除かれて、術衣の上としたの紐を結んで着替えが終了。
メガネともさよならをする。
これ以降、起き上がることはない。
準備ができたのでストレッチャーに仰向けになったまま手術室へ運ばれる。足先が進行方向。
2・30メートルは廊下を進んだと思う。非常にスムーズで、振動などはほぼない。天井が流れていく。
右左折を何度か繰り返して、手術室へ。
私は天井しか見えないし、メガネもないので詳細の観察はできないが、手術室は思ったよりも広く、20畳以上はあるようだった。天井の形から、室内の形はおそらく正方形。
天井に八角形の鏡があり、その端っこに私が移っているが、いかんせんぼやけて見えない。
私は入り口に足を向けた状態でストレッチャーから手術台へ移動される。
みんなでヨイショというかんじ。
なるほど、これは起き上がってしまったら術衣もみだれるなぁと思う。
スタッフの皆さんは全員帽子にマスクをかぶっているし、私はメガネをかけていないので誰が誰だか判別できない。ほとんどが手術専門のスタッフさんで始めて見る顔ばかりで、麻酔医さんだけが判別できた。
執刀医の先生や、主治医の先生は私の見える範囲では見つけることができなかった。
準備のためにさまざまな機材を取り付けていく。
みなさんテキパキしているが、取り付ける前に必ず声をかけてくれるし、人間的に接してくださるので、せわしなくなくてどきどきしない。
すごく安心感がある。
覚えている取り付け器具は以下のとおり。
■右腕
・血圧計
→「血圧計を巻きますねー。定期的にきゅっと締まりますよー」
・右指人差し指に酸素を計測するシール
→「人差し指にシールを貼らせていただきますね」
■胸
・心電図のバッチを3つ程度
→「ちょっとお胸、失礼しますー」
■頭部
・おでこにざらざらしたジェルを塗った後に、脳波用の測定器
→「ちょっとざらざらします、気持ち悪くないですか?大丈夫ですか?」
・酸素マスク
→「はい、では深呼吸してください、1、2、・・・」
■左腕
・麻酔
すでに挿入済みの点滴チューブから麻酔薬。
→「ちょっと痛いですよー」
これは説明をしていただいた麻酔医のかたよりちょっと年配の方が入れようしていた。
ん?事前に痛み止めの注射をするんじゃかったっけ?
「あれ?痛み止め、というのは?」
と聞いたら、「あれ?まだ?」
みたいな感じで確認後、入れてくれた。
「改めて、麻酔を入れますねー」
といいつつ、麻酔が入ってくる。
「ああ、これがしみるというやつですね」
「あ、わかりますー?」
という会話をする。
しみるというより、麻酔薬が入ってきた血管がビキビキ凍っていく感覚。
痛み止めのおかげもあってか、そんなに痛くはなかったが、周りの筋肉が呼応して硬直していくのがわかる。
これが痛みと感じるのかもしれない。
麻酔が入ってきた。ってことは・・・
「これからすぐに意識、なくなっちゃいますか?」
とおでこ側から覗き込んでいる麻酔医さんに聞く。
「はい、そうですよー」
あわてて言う。
「それじゃ、(大きな声で)みなさん、よろしくお願いします!」
「はーい」
というまばらなお返事を聞き届けた後、記憶がない。
・
・
・
・
・
次に目覚めたときには天井が違った。
廊下かどこかか?と思ったが、どうやらICUの様子。
え?終わったの?
本当、まったく夢なんかなくて、一瞬のように感じた。
うたた寝していていて、「あれ?寝ちゃってた?」と起きた状態に近い。
起きたら別世界だった。
誰かに蒸しタオルのようなもので両目の辺りをぬぐわれている。
頭は熱を持って、ものすごく痛い。ガンガンする。
体はうまく動かない。というか感覚がほとんどない。手足に痺れがある。
自分の意識とは違うところで、激しくぜーぜー、と呼吸をしている。
鼻に詰め物がしてあるので、口で息をしている。
酸素マスクをしているが、苦しいし、ものすごく口が渇いている。
ネブライザー(加湿器)も作動していたようだが、このときはぜんぜんわからなかった。
とにかく息がすっごく苦しい。
鼻の痛みはない。右鼻に詰め物をして、鼻全体にガーゼが貼ってある。
突っ込まれている、という違和感はない。
そして頭が何しろ痛い。失神したくなるくらい痛い。
瞼がうまく開かないし、意識が朦朧としている。
目が開かないように、粘着テープで閉じさせられていたそうだ。
だから蒸しタオルでぬぐってくれていたらしい。
でも、テープやら粘着剤は完全には取れず、顔がすごく汚かったらしい。
視点が合わずにぼんやりした景色が見える。
ああ、ちゃんと目は見えている、と安心する。
ベッドを家族と誰かが囲んでいるようだ。
私の意識が戻った様子に気がついて、誰かが声をかけてくる。
「目を開けてください」
「お名前を教えてください」
「何歳ですか?」
「今日は何月何日ですか?」×2
すべてはっきりと答えられたと思っていたのだが、月日のみ思いっきり間違っていた。
これは後から気がついたのだが、2回聞かれても、11月28日と答えていた。
年齢の28才にひきづられていたんだろう、そのときは28日であっていると思いこんでいた。
ものすごく余裕がないはずなのに、頭の中では「3歳です、お歌が大好きです」って答えたらどうなるんだろう?とか考えたりしていた。
ベッドの後方、右ひざ方向あたりにいる緑色の人物が、家族に向かって大声で説明めいたものをしているのが見てとれる。
朦朧とする意識で、酸素マスクもあってうまく発音できなかったが、
「H先生ですか?」
と聞いた。できる限りの大きな声で。精一杯だったが、うまく声が出せない。
びっくりするような大きな声で
「そうですよ!無事、終わりましたよ!」
と返事。
「ありがとうございました!」
やっとのことで言えた。
そのときはそれが精一杯で、また寝てしまったと思う。
それ以降、ICUにいた一晩は、少し起きては、また朦朧として浅い眠りに入りかけ、また朦朧とするという状態の繰り返しで、何度か断続的に気を失うように眠っていたようだ。
家族に言わせれば、苦しんでいる、と思えば5秒ほど眠り、また目が覚めて苦しむ、という繰り返しだったらしい。
妻が横にいて、手を握ってくれていた。必死に握り返していた。
時間が非常に長く感じられた。
次に目を覚ましたら(というか覚えているのが)、体の痛みや意識レベルは変わりなかったが、誰かが目の前で折りたたみ携帯大のビニールをひらひらさせながら、「これがとれた腫瘍ですよー」というような説明をしてくれていた。
この方はA先生で、私は同じようにお礼をいっていたようだが、その記憶がない。
しかも私の記憶ではH先生の方が先なのだが、家族によるとこちらの方が先、とのことだった。
見せていただいたものは、私にはどす黒い血のスープにしか見えなかった。メガネないし、ぼやけているし。
後で聞いたところ、見せていただいたものは3つのフィルムケースのような容器に収められていて、それがビニールの袋に入っていたそうだ。
形はほとんど崩れてわからなかったそうだ。
このあたりのことは本当に断片的にしか記憶がない。
少し時間が下ると、家族との「がんばったねぇ」などの会話が思い出されてくる。
しかし、ぜんぜん余裕がない。
ただただ頭痛と呼吸が苦しいのみ。
頭を一ミリでも動かせば、脳をわしづかみにされたような激痛が走るし、動かさなくても脈打つ圧迫・膨張したような痛みがある。ぐわんぐわんする。
普段、このくらいの頭痛がきたらもう立ってられないくらい。
ロキソニンばりばり飲んじゃうくらい、最高レベルの頭痛。
ってかこの頭痛は大丈夫なの?やばいんじゃないの?って思うくらい。
で、寝ようにも寝られない。痛すぎて。
「がんばったね」といわれるほど手術でがんばった実感は正直ない。
がんばってくれたのは医師・スタッフさん。それから、微力ながら私の基礎体力。
私にとって手術自体は意識がなかったので痛くも痒くもなかったから、私が意識してどうこうできるレベルではなかった。
術後の苦しみが本当にしんどかったので、むしろがんばるのはこれからだ、というのを思い知らされた。
ぜーはー、言うばっかりで言葉がぜんぜんでてこない、出そうにも出せない。
「ありがとう」とか、「痛い」とかそんなんばっかり。を途切れ途切れに。
家族はあまり聞き取れなかったらしい。
ICUに入ったのが13時過ぎ。
手術は予定よりかなり早かったようだ。
また、この日はICUが空いていたため、ここで一晩過ごすことになった。
私にとっては一晩どころかかなり長い時間に感じた。
苦しいながらも状況を確認すると、、
ぜんぜん気がつかなかったが、浴衣にT字帯になっていた。
左腕に巻かれた血圧計が15分おきに絞まる。
右手人差し指にはまだ酸素計が貼ったまま。
左腕だけでなく、右腕にも点滴がされている。
左頭上方向に酸素や心拍数、血圧のデジタル表示、
頭上から酸素マスク、
右頭上からネブライザーが確認できた。ネブライザーがよく止まる。そして位置が定まらない。
順調なときはモクモクでてくる蒸気が気持ちい。
「これが甘かったり味があったらおもしろいですね」とか、なんとも答えにくいコメントをしていた。
つらいはずなのに、半分頭が夢の中のようだ。
看護師さんは困っていたし、間近で聞いていた妻はちょっとあきれていたらしい。
そして、尿管が刺さっている。
あえて「刺」という漢字をあてたい。
これが痛い。なんかものすごく痛い。
もともと足にはまだ感覚が全部戻っていないので足をじたばた動かすことはできないが、尿管のせいで少しも動かすことができない。
体勢をかえることができないのでこれがまた苦痛。
また、なぜか左足のかかとがものすごくひきずられたみたいな痛みがあったので、家族にアキレス腱の辺りにタオルを引いてもらった。
朦朧とした苦しみが続いたが、だんだん意識が鮮明になってくる。
それでも普段と比べたらぜんぜん意識レベルは低いわけだが、朦朧とした霧が少しずつ晴れていくというか。
会話も、単語がとぎれとぎれではあるが、なんとか意思疎通はできるようになった。
ただ、意識が戻ってくればくるほど、痛みに敏感になってくる。困ったことに。
ある程度慣れることはできるが、「いつまで続くのー!?」とつい弱気になってしまう。
ネブライザーが何度も止まり、そのたびにナースコールを使ってしまった。
ICU内にはICU専門のナースステーションが存在する。
見渡せなかったが、私のベッドのすぐ横がそうだったようで、呼んだらすぐに駆けつけてくれる。
それ以外にもかなり短い間隔で定期的に看護師さんがやってくる。
検温、血圧の確認のほかに、目の反応を調べるために、両目とも外側からライトで光をあてたり、足の項を突っついてみたり(むくみや反応を見るため?)と、簡単な検査を何度もする。
「鼻の奥、水が流れるような感じはありませんか」
とも聞かれる。これは、髄液が漏れ出していないかをチェックするため。
特にそのようなことはなかったが、鼻水がつーっと流れるような事は何度があったのでそう伝えた。
実際、鼻から出たものを採取していたが、別に髄液ではなかったようだ。
髄液はもっとサラサラした粘性の少ないものらしい。
それでも心配なので些細なことでも伝えた。
結局心配は徒労に終わり、私は髄液漏については、手術中にも少なかったらしく、大丈夫だったようだ。
しかし、今後、この確認を何十回とされる。
途中、妻が脳神経外科の看護師に許可を得て飲み物を持ってきてくれて、それはそれは天使のように見えたのだが、ICUの看護師さんが、「1日は飲み物禁止です」と断った。
手術前の説明でも水分の摂取はできると聞いていただけに、妻はそれがすごく不満のようであったが、これは現場の判断だろうということになった。
気持ちだけありがたく頂戴した。
苦しいことは苦しかったが、いろんな方によって支えられて今現在無事手術を終えることができたという、感謝の気持ちで胸がいっぱいであった。
ICUにいる間、移動してCTとレントゲンを撮りにいった。
尿管やら点滴はそのままで、ベッドでそのまま搬送される。私は寝ているだけ。
CTは専用の台に移されるとき、なすがままであったが、さすがは皆さん、移動の方法を心得ていらして、振動などは最小限であった。頭痛が激化することもなかった。
レントゲンは頭部を上からと横から、それから胸部を上から。
元気なときは自分の身体を撮影機に合わせて変更していたが、ベッドに寝ている状態では、撮影機が横に回ったりしてくれた。頭の後ろに板を敷いたりしたが、これもさほど苦痛ではなかった。
またICUに帰る。
ICUにいるとき、一番つらかったのが、発作的な痺れと過呼吸だった。
突然、手足がひじ・ひざまでしびれ、腹部もへこむようになってしびれてきたのだ。頭痛がさらにひどくなり、意識とは別のところで呼吸が激しくなって自分では止められない。
思わず妻を呼んで手を握っていた、右手に妻、左手に父。やばい、死ぬかも、と思ったからだ。
見た目もかなりひどい発作だったのか、家族が看護師さんに連絡してくれた。
ほとんど薄れていく意識の中で、看護師さんが電話で主治医に「ものすごく苦しそうで・・・」と話しているのが聞こえた。
程なくして、鎮静剤が投与され、2・3分後には呼吸が収まり、しびれも弱くなった。効果テキメンだった。
主治医のチームは実は私の後にオペをしており、その最中であったのだが、電話から指示を出してくれたそうだ。ほっと一安心だったが、傍から見ていた家族も、一時はどうなることかと思ったそうだ。
軽く過呼吸になり、それが原因で身体の二酸化炭素濃度があがってしまったのだろうか?麻酔の影響も少なからずあるようだ。
こんな感じで、術後のICOでは、
・激しい頭痛(途中、座薬を入れたような気がする(これも初めて!)、また、常に氷枕だった)
・口の渇き(乾燥して舌と喉が痛い)
・痺れ
・体の痛み
・熱っぽさ
・尿管の痛み
に、終始へこまされていた。
このままICUで一晩過ごすことに。
家族は面会時間の19時ぎりぎりまで付き添ってくれたそうだ。
(つづく)
次のエントリー:
●下垂体腫瘍闘病生活記15【入院手術後1 11月21日】
本当に大変でしたね。
改めて今回復されて良かったです。
何だか今回痛そうなことばかりですが、実際はこの何倍もきつかったんだろうなぁ、と思っています。
繰り返しちゃいますが、今がお元気で何よりです。
うーん 凄いと言うか 怖いと言うか 痛いと言うか
元気回復よかったですね!
まずは 祝手術成功(拍手)パチパチ パチパチパンチ!
●たかさん
ありがとうございます。
いやー、現在はどの元過ぎればなんとやら^^;という日々を送っています。
こうやって文章にして起こすと、改めて、
「うわー、思い出したくない・・・」
と、思ってしまいます。はい。
●大阪LAPAZのスタッフより。さん
ありがとうございます。
下垂体腫瘍の摘出手術をされたほかの方の日記を見ると、手術当日に立って歩いている方もいらっしゃって・・・
「いやー、無理やわぁ」
と突っ込みを入れたりしています^^
私の病院の場合は脳圧を気にしてベッドの角度調節までスケジューリングされていましたし、って、単に私が根性無しだけって話もありますが・・・。