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下垂体腫瘍闘病生活記18【入院手術後4 11月24日】

4 月 25th, 2007

すっかり葉桜になって、交代するようにハナミズキやコデマリが満開を迎えています。
なのに、まだ雨の所為でちょっと肌寒いですね。晴れればお散歩日よりなんですが・・・
もう花冷えはいいかなぁ。

さて、ネタもないんで下垂体腫瘍闘病日記をば。

下垂体腫瘍闘病生活記 もくじ
 
下垂体腫瘍闘病生活記 カテゴリ全部
01.プロローグ 【発覚から地元病院簡易検査まで】
02.精密検査(前編) 【下垂体腫瘍概要・脳神経外科問診・内科・眼科・必要メモ】
03.精密検査(後編) 【MRI検査・血液検査結果・手術の説明・セカンドオピニオン】
04.新しい病院へ 【本命病院での脳神経外科・内分泌内科の問診】
05.内分泌内科入院1 【入院前日から初日まで】
06.内分泌内科入院2 【入院2日目負荷試験から退院まで】
07.脳神経外科入院1 【初日】
08.脳神経外科入院2 【2日目 採血と肺機能検査】
09.脳神経外科入院3 【3日目 CT撮影】
10.脳神経外科入院4 【4日目 MRIと引越しと手術前説明会】
11.脳神経外科入院5 【5日目 手術当日の流れと麻酔の説明】
12.脳神経外科入院6 【6日目 土曜日の病院生活】
13.脳神経外科入院7 【7日目 手術前日】
14.脳神経外科入院8 【8日目 手術当日・ICU】
15.脳神経外科入院9 【9日目 ICUから一般病棟へ】
16.脳神経外科入院10 【10日目 手術後2日目】
17.脳神経外科入院11 【11日目 車椅子で移動】
18.脳神経外科入院12 【12日目 耳鼻科で鼻洗浄】(このエントリ)

【11月24日(金)(入院10日目)手術後4日目】

この日も点滴。いっつも点滴。この日も便あり。車椅子でトイレまで移動。だんだん慣れてきた。
何もないときでも、病室を壁伝いに歩いたり、練習をしてみた。

頭痛はともかくとして、その他の体力的な回復は目に見えて順調だ。
「日にち薬」がこれほど明確にわかるとなんだかうれしい。

相変わらず、頭痛は激しいが、じっとしているときは我慢できるレベルになってきた。
所持していたロキソニンは取り上げられていたが、頼んで飲む回数も少なくなってきた。
痛いのは、座ったり立ったりしたときの血流の移動があったときがひどいくらいで、平常は我慢できるレベルまで落ち着いてきた。
でもこの痛みが半端ではなく、すわ、脳卒中か??と思えるくらい、数秒なにもできなくなるときもある。
主治医の先生の話によると、
「まあ、穴あけたし・・・しばらくは痛いと思いますよ」
とのこと。
でもこんなに続くものなのかなぁ?と思うが、よくなることを信じてがんばろうと思う。
たまに、頭の高さが上下すると、頭のなかで「キュンッ」と音がする。
素潜りなんかをして鼻抜きをしたときのような、圧がかかったようなときの音。
これが、鼻の奥で鳴っているのか、それとも頭の中でなっているのかは分からないが、頭痛を伴うので非常に怖い。
ますます恐る恐る動くようになる。

そして、耳鼻科に行って鼻の洗浄をやる。
まだ歩行での遠出は無理なので、車椅子で移動。
私のほかに、脳神経外科の病棟から2人、一緒に耳鼻科に向かった。
移動時間約10分ほど。
エレベーター→地下道→エレベーターと、結構距離がある。長旅だ。
私だけ車椅子だった。お二人とも私と同じ下垂体腫瘍摘出だったのだろうか?
ただし、会話がなかったので分からなかった。

耳鼻科に着いたらすぐに私が処置室に呼ばれが、すでにここまで車椅子を押してくれたスタッフさんが帰ってしまったため、自分で一生懸命車椅子を操作して処置室に入ろうとがんばっていた。
すると、外来で着ていたらしいスーツ姿の男性の方が親切にも処置室まで運んでくれた。
外からみて相当やばそうだったのか、その対応が物凄く迅速で丁寧だった。
いい人だぁ。親切がすごくうれしかった。

鼻の処置は簡単。
所要時間は1・2分程度であった。
逆ペンチのような器具を鼻腔に入れて、押し広げるように軽く鼻腔を広げ、シュッっと何かを吹きかける。
薬剤のついた細い綿棒をかなり奥まで突っ込み、数秒待つ。
引き抜いてからバキュームのようなもので垢を吸い取り、最後に仕上げでまたシュッと何かを吹き付ける。
要するに掃除だそうだ。
バキュームの時は「むぐぐぐ」と、わさびを食べたときの様にちょっと涙がでる。
ツンッとするが、終わったあとはすっきりする。

見た限り、術後の創部にかさぶたがあるが、それ以外は粘膜は綺麗なものだし、順調だそうだ。
私自身、切り傷擦り傷の治りが異様に遅い体質なので、これはうれしかった。
病室に帰ってから、恐る恐る鼻で息をしてみたところ、見事することができた。
スーハースーハーと強くはできないが、やさしくならできる。
口を閉じて息をすればそれだけ口腔内が乾燥しないわけで、これはうれしい。

そのあと、看護師さんに下のお掃除をしてもらった。
その際に、T字帯を新しくしてもらったが、パッドのようなものを装着していた。
それがちょっとペッタリくっついて気持ち悪い。

CTの結果は問題なしと主治医から説明があった。内部の髄液漏などは特になかったようだ。一安心。
後はどんどん食べて栄養摂取の為の点滴をやめよう!と活を入れられる。
抗生剤の点滴は今日まで、とのこと。
「管なんか抜いちゃって、早いこと内分泌内科に行っちゃってください!」
おーし、がんばろう!

(つづく)

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●下垂体腫瘍闘病生活記19【入院手術後5 11月25日】

下垂体腫瘍闘病生活 , ,

下垂体腫瘍闘病生活記17【入院手術後3 11月23日】

4 月 23rd, 2007

最近、入院の時によく飲んでいた銘柄の飲料を飲むと、入院時のつらいことを思い出してしまって困ったなぁ現象に悩まされています。
とくに、午後の紅茶、ポカリスエット、JAVATEA、ミネラルウーロン茶は味とともに強烈にその思い出が思い出されます ;(

下垂体腫瘍闘病生活記 もくじ
 
下垂体腫瘍闘病生活記 カテゴリ全部
01.プロローグ 【発覚から地元病院簡易検査まで】
02.精密検査(前編) 【下垂体腫瘍概要・脳神経外科問診・内科・眼科・必要メモ】
03.精密検査(後編) 【MRI検査・血液検査結果・手術の説明・セカンドオピニオン】
04.新しい病院へ 【本命病院での脳神経外科・内分泌内科の問診】
05.内分泌内科入院1 【入院前日から初日まで】
06.内分泌内科入院2 【入院2日目負荷試験から退院まで】
07.脳神経外科入院1 【初日】
08.脳神経外科入院2 【2日目 採血と肺機能検査】
09.脳神経外科入院3 【3日目 CT撮影】
10.脳神経外科入院4 【4日目 MRIと引越しと手術前説明会】
11.脳神経外科入院5 【5日目 手術当日の流れと麻酔の説明】
12.脳神経外科入院6 【6日目 土曜日の病院生活】
13.脳神経外科入院7 【7日目 手術前日】
14.脳神経外科入院8 【8日目 手術当日・ICU】
15.脳神経外科入院9 【9日目 ICUから一般病棟へ】
16.脳神経外科入院10 【10日目 手術後2日目】
17.脳神経外科入院11 【11日目 車椅子で移動】(このエントリ)

【11月23日(木)(入院11日目)手術後3日目】

何度か取り替えていた鼻のガーゼが取れた。
もうしなくていいようである。
また、午前中に右鼻の詰め物を取った。

主治医の先生がいらして無言で取ろうとしたので
「ちょっとまって!気持ちの整理をさせて!」
といいつつ、こぶしを握り締めて準備をした。
ネットで事前に読んだ感想では、かさぶたがバリバリはがれるような激痛とあったからだ。

詰め物は中が空洞になっていて、ちくわのような形態をしている。径は15mmくらい。
先生がピンセットでつまんで引っこ抜く。
ずるっと簡単にひっぱって取れた。
何かがひっかる様な抵抗も、痛みも全然なかった。
鼻水がびろーんと伸びたが、それは私がふき取った。
入っていた詰め物は、長さが10cm程度だった。すごく汚かった。

思ったよりぜんぜんあっけなかったので拍子抜け。
やたらと、スースーする。
嗅覚があるかないかはちょっと分からない。
なにもしていない左でにおいを感じることができるからだ。
ただ、鏡で見ると、左に比べて右の鼻の方が大きい。1.5倍くらいはある。
これは時間の経過ともに元に戻るらしい。

元気はつらつな看護師さんがやってきてl
「じゃあ、がんばって車椅子に乗ってみましょう」
とのこと。トレーニング開始だ。

ふらふらしながらおっかなびっくり立ってみた。
動きはものすごくスローである。
3日横になっていただけだが、かなり足腰が弱っている。
加えて、立ったことで血流の移動があり、頭痛がひどいことになった。脈打つようにして痛くなり、しばらく何もできなかった。さらに動きがスローにならざるを得ない。
また、首が弱っているのかうまく座らない。
術後は頭の圧が上がらないように、最低1ヶ月は下を向いてはいけないとのことであったし、尿管と点滴の管がじゃまして、立つのも座るのも慣れずに難しかった。

何しろ首が据わらないので、
「コルセットみないな、首に巻くのがるといいかもですね」
といってみたが、
この日の看護師さんはちょっときびしいというか、あまりこっちのペースにあわせてくれなくて、
「えー?そんなのいらないよー」
と軽く流されてしまった。いや、こっちも本気ではなかったんだけどなー。
もしかしたら私のスローな動きにやきもきしていたのかもしれない・・・
うーん、自分の根性の低さ加減にちょっと落ち込む。

車椅子に移動して、そのまま過ごしてみる。
2時間ほどしてベッドに自力で戻ってみる。
でも、管が邪魔なだけで、思ったより足腰はしっかり働いてくれた。
あとは、頭の位置が上下することで突発的に発生する重度の頭痛が今後よくなればよいと思う。

昼過ぎにやっとお通じの知らせがきた。
この日まで、尿管のおかげで尿は勝手に出て行ってくれたが、大はでてなかったのだ。
お腹がぐるぐる鳴っている。
看護師さんに伝えたところ、じゃあ、車椅子で行きましょう!とのことで、車椅子にのって車椅子専用のトイレまで移動する。
ただ、この車椅子があまりよくできていなくて、点滴の支え棒が差し込めない状態であったのでそのまま看護師さんが手でもっていた。が、いざトイレでしようにも、ずっと隣で持ってもらうわけにもいかず、急遽スタンドを持ってきてもらうことになった。
その間私は便器にすわり、点滴の袋は車椅子に乗せていたので、その高低差によって面白いほど血が逆流してした。

お通じはゆるゆるだった。下を向けないのでウォシュレットのスイッチ操作や、T字帯の巻きなおしとかが思ったより手間取った。
T字帯のどの隙間から尿管をどこから出していいやら分からず、閉口した。
(尿管からつながっている蓄尿用のパックは、車椅子の側面、または背面にぶら下げる形になる、しかし、尿が丸見えというのはどうしてもちょっとした恥ずかしさがある)

梅干おかゆだんだん食欲も出てきた。
夕飯では、
おかゆ・梅干・白菜・ピーマンの肉詰め、妻の作ったケーキ
をそれぞれ少しずつ食べることができた。

梅干とあるが、特に塩気のあるものがほしかったのではない。
尿の内容を調べた看護師さんに、尿の比重が軽い(Naが少ない)のでなるべく食塩を取るように、と言われたからだ。飲み物もなるべくお茶類でなはく、ポカリスエットなどおイオン系がよいとのことだった。点滴では身体に入らないでそのまま出てしまうようだ。血液からではなく、胃から吸収させたいらしい。
濃い目の味付けは好みではないのだが、頑張って食べた。
ポカリはちょっと飽きてきた・・・。

ネブライザー(加湿器)の調子がおかしく、モクモクがでない。
元気できびしい看護師さんが試行錯誤しているが、なかなか直らない。
電気屋を呼んでくれたが、
「私、電気系統は分かるんですが、この仕組みはちょっと、メーカーさんを呼ばないと・・・」
といわれてしまう。
まだまだ口でしか息ができないので、加湿器は必須アイテムだ。
こまったなーと思っていたが、厳しい看護師さんはそんなのお構いないようだ。
なおらないと踏んだのか、
「これぇ、いるぅ?」
とか聞いてくる。
「もちろんいりますよ!」
まあなんとも乗りの軽い看護師さんだった。でも、こういう方も必要だと思う。
車椅子移動ができるように、尻をたたいてくれたのだから。

その後兄がなんとか調整してモクモクが出るようにしてくれた。

(つづく)

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●下垂体腫瘍闘病生活記18【入院手術後4 11月24日】

下垂体腫瘍闘病生活 , ,

ebayで巨大バックボードを見つける

4 月 20th, 2007

でけーなおいこのバックボードはようebayをふらふらしてたら、こんなん見つけました。
eBay: Black World Class Dart-Stop Backboard - Round - NEW
ダーツのハードボード用のバックボードですね。
万が一的をはずした時に壁に穴が空かないようにと。
通常日本で手に入るゴム製のバックボードより一回り大きいです。

色が黒いんでぱっと見、ゴムか?
と思ったのですが、Item Detailsを見ると、

 

thick wood body

分厚い木ってありますねぇ。
使用されている木材にもよりますけど、思ったより軽くなるのかな?
でもって、

and the high-quality carpet surface will not show dart holes

表面は高品質のカーペットで覆われていて、ダーツが刺さった後の穴も目立たないよと。
それが黒いんですね。

Dimensions 36H x 36W x 1D Inches Fabric Color Black

直径36インチで、厚さ1インチ。思ったより薄いんですね。

まあ、でも、やっぱりでかい。
どんだけ豪快にはずすんだよ!
と突っ込みを入れたくなりますが :-)

ebayには、アラクニッド系の商品もちらほらあります。
やっぱり日本のオークションにはない物がたくさんあって面白い。
しかし大型のものはやっぱりshippingがWorld Wideではないのが残念。

海外との買い物でちょっと不安要素もありますが、PayPalが使えるのが魅力ですよね。
日本にもPayPal文化がもっと広がれば便利なんですが。
クレジットカード決済よりランニングコストは低いし、安全だと思うんですけどねぇ。
名義確認が必要な銀行振込とかより手数料や手間も少なそうだし。

先週末に妻の同僚を集めてBBQをしたのですが、その参加費はかかった費用の割り勘でした。
普段遠隔地に点在している同僚からどうやってその参加費を徴収するのだろうか?と疑問に思っていたのですが、妻は社内便を用いてやっていました。
なるほど!って思ったんだけど、ばれたらどうすんのよ、とも思いました。まあいいけど。
ここでPayPalの送金機能を使ったら結構迅速でいいと思うんですよ。
1円単位の割り勘も面倒ではないし。一気にメールでお知らせできるし。

そんなこんなでYahooAuctionに負けて日本から撤退したebayさん。そろそろ帰ってきてほしぃなぁ。ビッダーズをもっと進化させてほしいなぁと思う、今日この頃。

ってことで、ひさびさにダーツネタでした。

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下垂体腫瘍闘病生活記16【入院手術後2 11月22日】

4 月 18th, 2007

手術2日目。何とかおかゆを食べられるようになりました。

下垂体腫瘍闘病生活記 もくじ
 
下垂体腫瘍闘病生活記 カテゴリ全部
01.プロローグ 【発覚から地元病院簡易検査まで】
02.精密検査(前編) 【下垂体腫瘍概要・脳神経外科問診・内科・眼科・必要メモ】
03.精密検査(後編) 【MRI検査・血液検査結果・手術の説明・セカンドオピニオン】
04.新しい病院へ 【本命病院での脳神経外科・内分泌内科の問診】
05.内分泌内科入院1 【入院前日から初日まで】
06.内分泌内科入院2 【入院2日目負荷試験から退院まで】
07.脳神経外科入院1 【初日】
08.脳神経外科入院2 【2日目 採血と肺機能検査】
09.脳神経外科入院3 【3日目 CT撮影】
10.脳神経外科入院4 【4日目 MRIと引越しと手術前説明会】
11.脳神経外科入院5 【5日目 手術当日の流れと麻酔の説明】
12.脳神経外科入院6 【6日目 土曜日の病院生活】
13.脳神経外科入院7 【7日目 手術前日】
14.脳神経外科入院8 【8日目 手術当日・ICU】
15.脳神経外科入院9 【9日目 ICUから一般病棟へ】
16.脳神経外科入院10 【10日目 手術後2日目】(このエントリ)

【11月22日(水)(入院10日目)手術後2日目】

今見える景色とりたててイベントなし。
ベッドのリクライニングをがんばって25度から60度程度にする。
かといって頭をぐりぐりうごかすことは出来ず、見える景色はそう変わらない。

頭痛が相変わらずでぐわんぐわんする。
咳をするとものすごくいたい。脳が揺れる気がする。これがかなわない。
氷枕は気持ちいのだが、ぶよぶよしていて頭が定位置に定まらないのが難点。
これで首が凝ってしまって偏頭痛も並走しているような気もする。切り分けがうまくできない。
頭の熱を逃がすと何とか意識がクリアになる。
アイスノンはすぐに温かくなってしまうので、頻繁に変えてもらった。

それでも頭痛は激しく、何度か座薬を入れてもらうが、なかなかおさまらない。
座薬はボルタレンなのだろうか?私はボルタレンよりもロキソニンの方が沈静、という意味ではよく効くのだけれど・・。やっぱり座薬は恥ずかしいし、極力入れたくはないのだが、頭痛がひどいのでどうしようもない。
入れるときは、顔は天井を向いたまま、下半身だけねじるようにする。挿入するタイミングでは息を吐くようにするらしいが、看護師さんによっては無言でなんのためらいもせず押し込む方もいる。うまく入らなくて油断したところにぐいっとねじ込まれることもある。ひとり、ものすごく上手にいれられる方がいて、感心したが、やっぱり座薬は嫌いだ。

妻作:タルトご飯を食べる元気がないので一口二口程度。
咀嚼する気力もないし、固形物がどうにも飲み込めないので、ウイダーインゼリーを併用する。
喉も潤うし、吸わなくても手で絞ればゼリーが出てくるので大変助かる。
あとは点滴。電解質用と、水分補給用。
他に抗生剤などの点滴もする。
妻が自作のタルトケーキを持ってきてくれたが、まだ食べることができない。冷蔵庫にしまってもらった。

まだまだ尿の量が多いようだ。

家族と義母が来たが、そう頻繁に会話ができない。
それでも、昨日と比べたら雲泥の差でよくなってきている。

苦しいことは苦しいが、
「これがずっと続くわけじゃないから、絶対よくなるから」
の妻の言葉が励みになった。
家族に言わせれば、私はまだこの時点では目の焦点があっていないようで、意識がはっきりしているかも分からなかったそうだ。精一杯だったんだけどなぁ。

半端でないおかゆの量夕飯は少し食べることができた。
といっても10分の1程度。ネブライザー(ネグライダー?)の調子がよくないし、ずっと口呼吸のせいで、舌の、それも舌根の辺りがバリバリしたような乾燥状態になっている。
なので飲み物以外を口に入れるとざらっとして痛い。喉も同じように炎症を起こしているようだ。
しかし、用意されたおかゆの量が半端ではない。健常者でもこんなに食べることはできないと思う。もったいないので小盛に変更してもらう。

(つづく)

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●下垂体腫瘍闘病生活記17【入院手術後3 11月23日】

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脳の老化(同じ誕生日の人がいる確率)

4 月 16th, 2007

唐突に、『クラスに同じ誕生日の人がいる確率』ってどうやって算出するんだっけ?
と疑問になり、検索して解答を得ました。
ちょっと悲しくなったのでたいした内容でもないのにBlog記事に。

40人もいりゃ、約90%の確率で、57人になれば99%の確率で同じ誕生日の組ができる、っていうヤツです。
通常、365日分の1の確率が頭をよぎるので、その確率の高さにちょっと驚くって、結構有名なやつですね。

小学生の時に、
「誰ちゃんと誰ちゃんが誕生日が一緒だったよ」
と、なんと言う偶然!風に食卓でさも自慢するように話していたところ、兄に、
「そんなの当たり前だ」
と、とうとうとその理由を証明してもらったのですが、私は
「そんなに珍しがるほどの確率ではないのだなぁ」
位の豆知識的にしか記憶には残らなかったのでした。

結果や公式だけ覚えて証明や論拠を忘れる、
という一番嫌いなパターンに自分がおちいっていたわけです。
ここで悲しみ1。

最近読んだ本に、
「その確率は『このクラスの中に同じ誕生日の人がいる確率』よりも大きいよね」
というような表現があって、
「だいたい7割だっけ?」
と数値的なことはすぐに思い出せたものの、それを証明せよと言われると、はて、どうだったっけ?とすぐに分かりませんでした。
頭の体操的に通勤時間にでも考えればよかったのですが、目の前にPCがあるとどうしてもすぐ検索して安易に答えを得ようとしてしまいますね。
考える習慣がどこえやら・・・ X( 悲しみ2。

簡単に解説すると、ポイントは
「特定の人(例えば自分)と同じ誕生日の人がいる確率」
が解ではなくて、
「誰かと誰かの誕生日が同じ確率」
であるところ。
でもって、
「全ての人の誕生日が異なる率の反対」
を式にしてみれば任意のグループ人数を当てはめて確率が求められる。
っていうことでした。

例えば分かりやすく3人のグループで、それぞれA,B,Cがいるとすれば、全員の誕生日が違う確率は、

364/365(2人目と比較) * 363/365(3人目と比較)

で、その結果を1から引けばいい(余事象)、ということになります。
ま、コロンブスの卵系で、言われてみれば、ああそうだ。っていう考えですよね。
安易に検索に走ってしまってちょっと後悔もあり、
「車輪の再発明はしない」っていう今風のプログラミング思想を拡大解釈すると時間を短縮できたっていう考えもできたり。
でもどちらかというと、やっぱり脳の衰えを感じざるを得ません :-( 悲しみ3。

ちょっと自分で計算したいな、と思い、ExcelVBAで軽く作ってみました。
閏年の判定とか面倒なのでそこら辺ははしょって本当の計算部分のみ。

 Private Sub CommandButton1_Click()
  Range(A1).Select
  ninzu = ActiveCell.FormulaR1C1
 
  itinen = 365 ‘閏年とかは直書で^^;
  a = 1 ‘同じ誕生日でない確率(初期値)
 
  For i = 0 To ninzu - 1 Step 1
  a = a * (itinen - i) / itinen
  Next
 
  b = 1 - a
 
  Range(A2).Select
  ActiveCell.FormulaR1C1 = b
 End Sub

ってそしたら、
同じ誕生日の人が少なくとも一組いる確率の計算
っていう、計算してくれるページがあるじゃないですか。
普通に考えたらありますよねぇ、検索とリンクの追跡が甘かった。
検索に走った言い逃れを「車輪の再発明」に逃げたのに、自分が「車輪の再発明をしていた(しかも機能的にデグレードありだし品質も低いし)」と・・・。

どうせならWORAの考えでJavaでソースを書けばよかったなぁ、、、つかだれもほしーとは思わないし。
ここでも脳の使い方が弱っていると実感 :( 悲しみ4。

「同じ 誕生日 確率」
で検索したら一発ですね。

「誕生日のパラドックス」なんていう名前もついているんだぁ。

なんか、小学生の時に兄の言うことを右から左へ聞き流していただけで、めぐりめぐって今、いろいろ空回りしていて脳の老化も実感しちゃって本当に悲しくなりました :-e

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下垂体腫瘍闘病生活記15【入院手術後1 11月21日】

4 月 13th, 2007

相変わらず、苦しそうな文面です・・・^^;;
この日のメインはやっぱり尿管、だろうか?

下垂体腫瘍闘病生活記 もくじ
 
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01.プロローグ 【発覚から地元病院簡易検査まで】
02.精密検査(前編) 【下垂体腫瘍概要・脳神経外科問診・内科・眼科・必要メモ】
03.精密検査(後編) 【MRI検査・血液検査結果・手術の説明・セカンドオピニオン】
04.新しい病院へ 【本命病院での脳神経外科・内分泌内科の問診】
05.内分泌内科入院1 【入院前日から初日まで】
06.内分泌内科入院2 【入院2日目負荷試験から退院まで】
07.脳神経外科入院1 【初日】
08.脳神経外科入院2 【2日目 採血と肺機能検査】
09.脳神経外科入院3 【3日目 CT撮影】
10.脳神経外科入院4 【4日目 MRIと引越しと手術前説明会】
11.脳神経外科入院5 【5日目 手術当日の流れと麻酔の説明】
12.脳神経外科入院6 【6日目 土曜日の病院生活】
13.脳神経外科入院7 【7日目 手術前日】
14.脳神経外科入院8 【8日目 手術当日・ICU】
15.脳神経外科入院9 【9日目 ICUから一般病棟へ】(このエントリ)

【11月21日(火)(入院9日目)手術後1日目】

点滴昨日から続きの深夜。

前日からの容態は相変わらず。
浅い眠りと眠れない苦しさを繰り返す。
今が何時なのかもわからない。ICUは電気を切らないようだった。

夜中に2度ほど、乾いた口の中を看護師さんが気持ちよくしてくれた。
チュッパチャプスのように棒のついた丸くて青い固めのスポンジ水を含ませて、口の中を丹念に掃除&水分補給してくれたのだ。これが非常に気持ちよかった。
舌の上、歯茎、口の裏・・・・これほどまでに気持ちいいのか。というくらいで、これによって意識が少し回復したといっても過言ではなかった。

また、ネブライザーの管を看護師さんが機転を利かせて、酸素マスクに固定してくれた。
酸素マスクに十字に切れ目をいれて、そこに突っ込んでくれたのだ。
モクモクが調子のよいとき、非常に気持ちがよかった。

尿管がどうしても痛いのでちょっと体勢を変えたかった。
看護師さんに聞いてみたところ、うつぶせ以外だったらある程度自由な体勢をとってもいいとのことだった。
頭痛がひどいし、尿管の管がどのように出ているのかが想像つかなかったので、大きく体勢を変えることはできなかったのだが、少しは身体を動かすことができるくらい余裕は出てきた。
つまり、自分である程度はもぞもぞ動くことができるようになっていた。
(といっても寝返りには程遠いほどの動きだが)

約半日たってやっとこの程度の進展。
自分は痛みや苦しみに対してこんなにも辛抱ができない根性なしなのか?
とちょっと自己嫌悪に陥ってしまった。
しかしまずは気を強く持って回復に向かうべきだと思った。

朝が来た様なが気がした。周りがちょっと忙しなく動いているような気がする。
ICUでもご飯を自力で食べられる人がいるようだ。「頑張って食べましょう!」なんていうやり取りがカーテンの向こうで聞こえる。
私は点滴。食欲ってなんだっけ?というくらい何もほしくなかった。

尿管がどうしても痛い。
そのことを看護師さん伝えると、
「うーん、痛いはずはないと思うのですが・・・膀胱炎とかじゃないですよねぇ」
といいながら刺さっているところを確認しつつ、消毒などをしてくれた。
尿管を刺していると、自分の意識とは別に、尿意もまったくなく尿がでて、下の袋にためられていくようだ。
膀胱に尿がいったらストレートに外に出るという仕組みだ。
「あまりにも痛かったら、抜きますか?」と聞かれる。
今後尿量を正確に測るということを条件に、主治医の許可も出ているようだ。
本当に痛いし、刺さっていることで行動に制限ができてしまうので、一念発起して抜いてもらうことにした。
尿意があれば尿瓶ですればいいので呼んでほしいとのことだった。
(まだ状態を起こすことができないし、点滴で腕が下に行かないので、やってもらうしかない)

しかし、抜くのは激痛だった。
尿管は、意識のあるときに出し入れするもんじゃない。別名ホーリーとも呼ばれているくらいだそうだ。
抜く瞬間、おしっこを出すように踏ん張らないといけないらしい。「はい、出してください」みたいな事を言われた。最後、管の先が丸いような感覚があった。これが異様に大きく感じた。
いや、本当に痛かった。

ものすごく痛かったが、自由になったという喜びがあった。
すぐにそれまでなかった尿意が湧き出たのが面白かった。
が、あまり切羽詰った尿意ではかなったのでほうっておいた。
これが後になって更なる地獄を見る羽目になるとは、ぜんぜん思わなかった・・・・

何時だかわからないが、午前中にCTを撮りにいった。
そのまま、ICUではなく、病室へ帰る。
ICU用のベッドから、病室のベッドへ移動完了。
このときも自力ではなく、寝ている状態で移行作業をしてもらった。
容態がすこーしだけ楽になって、「ああ、帰ってきた」と実感できた。

病室に妻と家族が来ていた。
まだ午前中のようだ。

しばらくして看護師さんが何人かやってきて、私の身体を綺麗にしてくれた。
私はベッドに仰向けになったままだが、うまいことからだの下に防水シートを敷いて、温かいお湯で身体を洗ってくれた。まあ要するに全裸にされているわけだが、そんなことは気にすることないくらい、気持ちよかった。思いやりのある声をかけてくれながら、やさしく洗ってくれる。
思わず、「気持ちいいですぅ」とか声が出てしまう。

こちらでも、頻繁に血圧などの検査を行い、その度に「喉や鼻の奥、水が流れているような感覚ないですか?」ち聞かれる。

頭痛はひどいし、まだまだ上体を動かすことはできないが、手術直後に比べればかなり回復してきた。
上体は自分で動かしてはいけない。
この後、20度ほどベッドのリクライニングを傾ける。
次の日は30度、しばらくして45度、次の日に60度、90度にしてやっとという工程を経ていくらしい。
頭の高さを急激に上げると、やはり圧力の関係で患部や創部に負担になるとのこと。
腹筋を使って状態を起こすのはもってのほか、とのことであった。

午後になって食事が運ばれてきたが、お粥をほんの4・5粒口に運んでダウン。
妻が買ってきてくれたウイダーインゼリーが冷たくておいしい。これは重宝する。
飲み物はストロー付きのペットボトルで少しずつ飲める。口が渇いているので気持ちい。
喉がからからなので一生懸命飲む。

程なくして尿意を覚える。
尿瓶を運んできてもらい、しようとする。
小学生の時に、首を捻挫し、そのときに尿瓶を使ったことがあるので、気持ち的には何の抵抗もなかった。
しかし、出そうにも出ない。
どんなにがんばってもでない。
家族に病室から出てもらってもでない。
もうすこし、のところまで行くのにぜんぜんでない。
なぜ?

そのときは、ま、もっと尿意が強くなってからでもいいか、と気楽に構えていたのだが・・・
すぐに我慢できないくらいの尿意に襲われる。
しかし尿瓶に放尿できず。なぜ?
おしっこの仕方をまるで忘れてしまったかのように出ない。羞恥心とかそういうのは全然別のようにでない。

看護師さんがお腹を押して張り具合を見る。
「うわー、ぱんぱん」
私も押されるともらしそうになるがでない。変わりに痛い。
やっぱりたまりにたまっているらしい。

ここで、家族から、「また尿管いれるか?」との冗談がでる。
冗談ではない!そんなもの金輪際入れるか!ということでがんばったものの、ぜんぜんでない。

じゃあ、あと30分まって出せなかったら、尿管じゃないにしても先生に相談しようか、という話にまとまったのもつかの間、ものすごく膀胱が痛くなってきた。
すっごく苦しい。
そして、ICUの発作の時のように末端からしびれてきた。
身体が限界を察したようだ。
息も苦しくなってきた。
やばい。
おしっこが出せないだけで何でこんなに苦しまなければいけないのか?
ナースコールで先生を呼んでもらう。
現状を速やかに把握し、尿管の再挿入を決定。
しかし、尿管の挿入というのは医療行為のようで、看護師さん単独ではできないそうだ・・・。
主治医チームの先生をつれてくるとのことで、その間3分から5分ほど、ほんとに苦しくてふーふー言っていた。
やっと先生が登場。
チラッと管が見える。ふとーーーーーい!あれ入れんの?!うそー!!!
無表情で私のをつかんで挿入開始。
ベッドの両脇の柵と妻の手を握り締めて、叫んだ。無我夢中だった。
妻は私の激痛による叫びを初めて聞いたそうだ。
多分、私も痛みで初めて叫んだ。

でも、刺したあと、すぐに尿が管を伝って出て行ったのだろう、パンパンに張っていたお腹は断然楽になった。
尿管はその役割を完全に遂行しているのである。
出た尿はそのままベッド脇の袋に貯蔵される。ある程度たまったら看護師さんが別の容器に入れて持っていく。今回の尿管は、違和感すらなく、足や下半身を動かさなければまったく痛みはなかった。サイズが違うのか、挿入がうまかったのか。

はあ・・・尿管、刺したらまた抜かなきゃいけないんでしょうに・・・・。
尿をだせないという苦しみからは解放されたものの、管がまた増えて、そして抜くときの恐怖ものこっているこの状態。ちょっと悲しい。

デスモプレシンを入れる管尿量が多いらしい(自分では見れないので)。
尿崩症の症状があるようだ。(尿崩症についてはまた後日解説)
鼻から薬(デスモプレシン(DDAVP))を投与。
詰め物をしていない方の左鼻の中を径10mm以上の綿棒でぬぐう(掃除をする)。
その後、やわらかいストローの先に薬を含ませたものを挿入し、反対方向を口に含んで自力でふーと吹く。
管を抜いて、薬を入れた部分を鼻の上から圧迫して浸透させる。粘膜から吸収させるわけだ。

この後、尿量がある程度出過ぎたらそのたびに薬を投与し、経過を見ることになる。

(つづく)

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●下垂体腫瘍闘病生活記16【脳神経外科入院10 11月22日】

下垂体腫瘍闘病生活 , ,

叩く、落ちる

4 月 12th, 2007

近くに座っている人のキーボードを打鍵する強さがね、強すぎるわけですよ。
ダシッ!ダシッ!ダシッ!ダシッ!ダシッ!ダシッ!
定期的に改行だか何だかを入れているのか、そんなに繰り返す作業ならマクロ化か一括置換すればいいものを、といつも思うのですが。
それがね、なんかすげー怒っているようにも感じる。感情を打ちつけているというか。
それくらい強いんですよ。
共有しているテーブル自体がゆれるんだもの。
うまく感情を表に出せなそうな(ってか感情表現の発露や機会が普遍的ではない)お方、と言ってしまうと失礼にあたるんだけど、まあとにかく考えていることを理解しようとするとこっちが疲れちゃうような方で(そっちの方が失礼か)。
だから、そんなにキーボードを目の敵にしたように叩いていると、
「あれ?怒ってんの?」
と思わざるを得ない。
なんだかなーと思っていると、私のPCの上に置いてあるヨーダと卓上カレンダーが落ちましたよ。
直したのにまた。
思わず「ちょっ!」
って言って立ち上がったら本人笑ってました。
ま、ここで笑いがでると場が和やかになるもので、私の一方的な対この人苦手感覚も少しは和らぎまして、
「なんでそんな激しく叩いてるんすか」
ってかるく聞けるような雰囲気になったりします。
キーボードが硬いんだと。安物だから。だから強く叩いているんだと。
「コーヒーでもこぼしたんですか?」
「違う。」
じゃ、プライベートのをもってきましょうよ!ね。
何かと会社の備品にケチをつけては、まったく改善をしようとしないのは絶対わざとだと思います。
PC本体じゃなきゃ、メモリ機能付き出ない限り、このあたりの入力素子の自前持込は許されると思うんですが、周りにあんまりそういう人はいませんね。
まあ、そんなこんなで今だに強く打鍵する状況はたまにあるわけで、お隣の方なんかは飲料おまけフィギュアを早々にPCの上から安全な机上へと退避させているそうです。
頑張れヨーダ。

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4 月 12th, 2007

最近、2Fの洗面所に蟻がいます。いつも決まって3・4匹程度。水周りなのでシロアリだと困ったことになりそうですが、どうやらそうでもない様子。隣接するトイレの窓を開けっ放しにしていたから、網戸の隙間から忍び込んだのかな?いつも出会うのが寝ぼけ眼の朝方だし、春だしねぇ、なんて、くもの糸のカンダタよろしく見逃していたんですが、ここで義母を思い出しました。
庭で私が犬と遊んでいたところ、庭弄りをしていた義母が天道虫を見つけました。
その瞬間を見ていたのですが、見つけた直後に間髪いれず園芸用の手袋をした手で押しつぶしたんです。天道虫あえなく昇天。義母にとって天道虫は害虫にしか見えないそうで。片手に持っているアブラムシ駆除剤の代わりを天道虫がやっていることを教えたりしてました。義母のこのあたりの冷徹さは芋虫にも当てはまり、見つけたら「あらやだ」といいつつ園芸用のはさみでちょきん。何てこともありました。
躊躇がないことに恐怖を通り越し、半ば感動すら覚えつつも、蟻を見つけてはバシバシ踏んづける子供に見られるような残虐性と大人の都合主義的なものを同時に垣間見たような気がして、偽善者でエセ動物愛護家でカマトトぶっている私なんかはちょっと面食らったりしたのでした。
そんなこと思い出すかたわら、蟻に大量発生されても困るしなぁと、蟻の巣ころり等の駆除剤の購入をぼんやり考えているあたり、ああ、昆虫にとっての脅威は大量虐殺を企てているこっちか、なんて自嘲しつつ、早く帰って薬局に寄れればちょい強力なヤツを買おう、なんてカンダタ気分はどこへやらという精神状態です。

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下垂体腫瘍闘病生活記14【脳神経外科入院8 11月20日】手術日!

4 月 6th, 2007

さあ!手術当日です。
いつにもまして長文です^^;

↓目次をちょっと分かりやすく変えてみました。(過去記事も変えなきゃ・・・)

下垂体腫瘍闘病生活記 もくじ
 
下垂体腫瘍闘病生活記 カテゴリ全部
01.プロローグ 【発覚から地元病院簡易検査まで】
02.精密検査(前編) 【下垂体腫瘍概要・脳神経外科問診・内科・眼科・必要メモ】
03.精密検査(後編) 【MRI検査・血液検査結果・手術の説明・セカンドオピニオン】
04.新しい病院へ 【本命病院での脳神経外科・内分泌内科の問診】
05.内分泌内科入院1 【入院前日から初日まで】
06.内分泌内科入院2 【入院2日目負荷試験から退院まで】
07.脳神経外科入院1 【初日】
08.脳神経外科入院2 【2日目 採血と肺機能検査】
09.脳神経外科入院3 【3日目 CT撮影】
10.脳神経外科入院4 【4日目 MRIと引越しと手術前説明会】
11.脳神経外科入院5 【5日目 手術当日の流れと麻酔の説明】
12.脳神経外科入院6 【6日目 土曜日の病院生活】
13.脳神経外科入院7 【7日目 手術前日】
14.脳神経外科入院8 【8日目 手術当日・ICU】(このエントリ)

【11月20(月)(入院8日目)手術当日】

普段どおり7時前に起床。

7時半くらいに、手術室まで付き添ってくれる看護師さんがいらっしゃる。手には必要書類やらMRIやらの写真をたくさん持っている。落ち着いた方で、こちらの緊張もわかっている感じ。
「寝られましたか」と聞かれた。
少し緊張していたが、おそらく体力勝負だと思っていたので無理やり寝たと答えた。

説明があったとおり、副腎皮質ホルモンの補充点滴を行う。
点滴の針は前日のものが刺したままであったため、チューブの付け替えだけであった。
これは3・4日つけたままで使い回しができるそうだ。

サージカルストッキング妻と家族が登場。
サージカルストッキングを履く。一度裏返したりしないと履けないらしく、ちょっと迷うが、何とか履く。
ちょうど足裏の指の付け根あたりが穴になるように履くらしい。

当初、家族とは病室で見送り・お別れ、という計画だったが、手術室前まで来ても大丈夫とのことであったため、8時15分に一緒に移動開始。

エレベータに乗った際、看護師さんに
「緊張していますね」
といわれる。
妻も兄も
「そうだねー」
と笑う。
どうも顔がこわばっていたらしい。
「そりゃ緊張するよー、はじめてだもん」
と私も笑う。ちょっとほぐれる。

2Fについて少し歩くともう、手術室前。

手術室前でお別れの図写真を撮ったりして、「じゃーねー」と別れる。徒歩。
よくドラマなんかにある、ストレッチャーに乗せられて手を握りあう、なんてシーンの深刻さは微塵もない。
でも、これだけ気楽を装ってくれると、気持ちも軽くてすむので助かった。

付き添いの看護師さんと2人だけで手術室の自動扉を抜けて歩く。
手術室の前に準備室があるとは聞いていたが、思っていたよりかなり広い。
いろんな手術の為の準備室、手術室がたくさんあるようだ。
さすがは大学病院。
20mほど歩いて、準備室の前で止まる。

麻酔医の方と、準備室担当の看護師さんがいらして挨拶の後、名前と血液型の確認を行う。
「右鼻からのアプローチですよね?」
と聞かれるが、術前の説明では特にそのような説明はなかったので、
「あ、片方だけで、右なんですねぇ」という感想。
書類には右に○と書かれてあった。
両鼻から穴を開けるわけではないならしいので、それがうれしい。右でも左でもどちらでもよかったが、初見というのを知って看護師さん、麻酔医さんはうろたえていた。
ので、私はぜんぜん大丈夫である旨伝えた。
しばし待たされる。
付き添いの看護師さんは書類などを引き継ぎ、「がんばってください」とエールを送ってくれて引き返す。

しばらくして準備室に呼ばれたのではいる。

準備室というよりかは、エントランスか土間のような位置づけのところ。
手術にかかわるスタッフさんたちが忙しく行きかっている。

壁際にストレッチャーが置かれており、その周りをカーテンで仕切ることのできるようになっているスペースがあるり、そこに招かれる。
ストレッチャーの上には術衣が人の形になって敷かれている。
思ったよりストレッチャーは幅が広い。病室のベッドよりすこし狭いくらい。
高さは腰がかけられるくらいまで調節してある。
準備室担当の看護師さんにそこに座るように促される。
尻の下の緑色の術衣、これは背中側の半分のようだ。
その下に毛布。どちらも布団乾燥機にかけた様な温かさ。
ポカポカで肌触りもドライで非常にここちよい。
腰をかけたままの状態でパジャマの上着を脱ぐように言われる。
同時に壁際を囲むようにカーテンが閉じられる。
脱いでいる途中で、やわらかく、厚みのある、これもホカホカの2枚折の大きなシーツのようなもので首から下を前から覆われる。
そのままストレッチャーに仰向けになるように指示され、シーツも上から被せられる。
このとき看護師さんはシーツを持ったまま。
胴切断の手品をするときみたいだと思った。
この状態から下着もろとも下半身をすべて脱ぐ。
上から術衣の上半分が被せられ、シーツが除かれて、術衣の上としたの紐を結んで着替えが終了。
メガネともさよならをする。
これ以降、起き上がることはない。

準備ができたのでストレッチャーに仰向けになったまま手術室へ運ばれる。足先が進行方向。
2・30メートルは廊下を進んだと思う。非常にスムーズで、振動などはほぼない。天井が流れていく。

右左折を何度か繰り返して、手術室へ。
私は天井しか見えないし、メガネもないので詳細の観察はできないが、手術室は思ったよりも広く、20畳以上はあるようだった。天井の形から、室内の形はおそらく正方形。
天井に八角形の鏡があり、その端っこに私が移っているが、いかんせんぼやけて見えない。
私は入り口に足を向けた状態でストレッチャーから手術台へ移動される。
みんなでヨイショというかんじ。
なるほど、これは起き上がってしまったら術衣もみだれるなぁと思う。

スタッフの皆さんは全員帽子にマスクをかぶっているし、私はメガネをかけていないので誰が誰だか判別できない。ほとんどが手術専門のスタッフさんで始めて見る顔ばかりで、麻酔医さんだけが判別できた。
執刀医の先生や、主治医の先生は私の見える範囲では見つけることができなかった。

準備のためにさまざまな機材を取り付けていく。
みなさんテキパキしているが、取り付ける前に必ず声をかけてくれるし、人間的に接してくださるので、せわしなくなくてどきどきしない。
すごく安心感がある。

覚えている取り付け器具は以下のとおり。

■右腕
・血圧計
→「血圧計を巻きますねー。定期的にきゅっと締まりますよー」
・右指人差し指に酸素を計測するシール
→「人差し指にシールを貼らせていただきますね」

■胸
・心電図のバッチを3つ程度
→「ちょっとお胸、失礼しますー」

■頭部
・おでこにざらざらしたジェルを塗った後に、脳波用の測定器
→「ちょっとざらざらします、気持ち悪くないですか?大丈夫ですか?」
・酸素マスク
→「はい、では深呼吸してください、1、2、・・・」

■左腕
・麻酔
すでに挿入済みの点滴チューブから麻酔薬。
→「ちょっと痛いですよー」
これは説明をしていただいた麻酔医のかたよりちょっと年配の方が入れようしていた。
ん?事前に痛み止めの注射をするんじゃかったっけ?
「あれ?痛み止め、というのは?」
と聞いたら、「あれ?まだ?」
みたいな感じで確認後、入れてくれた。
「改めて、麻酔を入れますねー」
といいつつ、麻酔が入ってくる。
「ああ、これがしみるというやつですね」
「あ、わかりますー?」
という会話をする。

しみるというより、麻酔薬が入ってきた血管がビキビキ凍っていく感覚。
痛み止めのおかげもあってか、そんなに痛くはなかったが、周りの筋肉が呼応して硬直していくのがわかる。
これが痛みと感じるのかもしれない。

麻酔が入ってきた。ってことは・・・
「これからすぐに意識、なくなっちゃいますか?」
とおでこ側から覗き込んでいる麻酔医さんに聞く。
「はい、そうですよー」

あわてて言う。
「それじゃ、(大きな声で)みなさん、よろしくお願いします!」

「はーい」

というまばらなお返事を聞き届けた後、記憶がない。

次に目覚めたときには天井が違った。
廊下かどこかか?と思ったが、どうやらICUの様子。

え?終わったの?
本当、まったく夢なんかなくて、一瞬のように感じた。
うたた寝していていて、「あれ?寝ちゃってた?」と起きた状態に近い。
起きたら別世界だった。

誰かに蒸しタオルのようなもので両目の辺りをぬぐわれている。
頭は熱を持って、ものすごく痛い。ガンガンする。
体はうまく動かない。というか感覚がほとんどない。手足に痺れがある。
自分の意識とは違うところで、激しくぜーぜー、と呼吸をしている。
鼻に詰め物がしてあるので、口で息をしている。
酸素マスクをしているが、苦しいし、ものすごく口が渇いている。
ネブライザー(加湿器)も作動していたようだが、このときはぜんぜんわからなかった。
とにかく息がすっごく苦しい。
鼻の痛みはない。右鼻に詰め物をして、鼻全体にガーゼが貼ってある。
突っ込まれている、という違和感はない。
そして頭が何しろ痛い。失神したくなるくらい痛い。

瞼がうまく開かないし、意識が朦朧としている。
目が開かないように、粘着テープで閉じさせられていたそうだ。
だから蒸しタオルでぬぐってくれていたらしい。
でも、テープやら粘着剤は完全には取れず、顔がすごく汚かったらしい。

視点が合わずにぼんやりした景色が見える。
ああ、ちゃんと目は見えている、と安心する。
ベッドを家族と誰かが囲んでいるようだ。

私の意識が戻った様子に気がついて、誰かが声をかけてくる。
「目を開けてください」
「お名前を教えてください」
「何歳ですか?」
「今日は何月何日ですか?」×2

すべてはっきりと答えられたと思っていたのだが、月日のみ思いっきり間違っていた。
これは後から気がついたのだが、2回聞かれても、11月28日と答えていた。
年齢の28才にひきづられていたんだろう、そのときは28日であっていると思いこんでいた。

ものすごく余裕がないはずなのに、頭の中では「3歳です、お歌が大好きです」って答えたらどうなるんだろう?とか考えたりしていた。

ベッドの後方、右ひざ方向あたりにいる緑色の人物が、家族に向かって大声で説明めいたものをしているのが見てとれる。
朦朧とする意識で、酸素マスクもあってうまく発音できなかったが、

「H先生ですか?」

と聞いた。できる限りの大きな声で。精一杯だったが、うまく声が出せない。
びっくりするような大きな声で

「そうですよ!無事、終わりましたよ!」

と返事。

「ありがとうございました!」

やっとのことで言えた。

そのときはそれが精一杯で、また寝てしまったと思う。

それ以降、ICUにいた一晩は、少し起きては、また朦朧として浅い眠りに入りかけ、また朦朧とするという状態の繰り返しで、何度か断続的に気を失うように眠っていたようだ。
家族に言わせれば、苦しんでいる、と思えば5秒ほど眠り、また目が覚めて苦しむ、という繰り返しだったらしい。
妻が横にいて、手を握ってくれていた。必死に握り返していた。
時間が非常に長く感じられた。

次に目を覚ましたら(というか覚えているのが)、体の痛みや意識レベルは変わりなかったが、誰かが目の前で折りたたみ携帯大のビニールをひらひらさせながら、「これがとれた腫瘍ですよー」というような説明をしてくれていた。
この方はA先生で、私は同じようにお礼をいっていたようだが、その記憶がない。
しかも私の記憶ではH先生の方が先なのだが、家族によるとこちらの方が先、とのことだった。
見せていただいたものは、私にはどす黒い血のスープにしか見えなかった。メガネないし、ぼやけているし。
後で聞いたところ、見せていただいたものは3つのフィルムケースのような容器に収められていて、それがビニールの袋に入っていたそうだ。
形はほとんど崩れてわからなかったそうだ。

このあたりのことは本当に断片的にしか記憶がない。
少し時間が下ると、家族との「がんばったねぇ」などの会話が思い出されてくる。

しかし、ぜんぜん余裕がない。
ただただ頭痛と呼吸が苦しいのみ。
頭を一ミリでも動かせば、脳をわしづかみにされたような激痛が走るし、動かさなくても脈打つ圧迫・膨張したような痛みがある。ぐわんぐわんする。
普段、このくらいの頭痛がきたらもう立ってられないくらい。
ロキソニンばりばり飲んじゃうくらい、最高レベルの頭痛。
ってかこの頭痛は大丈夫なの?やばいんじゃないの?って思うくらい。
で、寝ようにも寝られない。痛すぎて。

「がんばったね」といわれるほど手術でがんばった実感は正直ない。
がんばってくれたのは医師・スタッフさん。それから、微力ながら私の基礎体力。
私にとって手術自体は意識がなかったので痛くも痒くもなかったから、私が意識してどうこうできるレベルではなかった。

術後の苦しみが本当にしんどかったので、むしろがんばるのはこれからだ、というのを思い知らされた。

ぜーはー、言うばっかりで言葉がぜんぜんでてこない、出そうにも出せない。
「ありがとう」とか、「痛い」とかそんなんばっかり。を途切れ途切れに。
家族はあまり聞き取れなかったらしい。

ICUに入ったのが13時過ぎ。
手術は予定よりかなり早かったようだ。
また、この日はICUが空いていたため、ここで一晩過ごすことになった。
私にとっては一晩どころかかなり長い時間に感じた。

苦しいながらも状況を確認すると、、

ICUにて。家族ににより撮影。まあ、これだけじゃ顔もわからんしいいか。ぜんぜん気がつかなかったが、浴衣にT字帯になっていた。
左腕に巻かれた血圧計が15分おきに絞まる。
右手人差し指にはまだ酸素計が貼ったまま。
左腕だけでなく、右腕にも点滴がされている。
左頭上方向に酸素や心拍数、血圧のデジタル表示、
頭上から酸素マスク、
右頭上からネブライザーが確認できた。ネブライザーがよく止まる。そして位置が定まらない。
順調なときはモクモクでてくる蒸気が気持ちい。
「これが甘かったり味があったらおもしろいですね」とか、なんとも答えにくいコメントをしていた。
つらいはずなのに、半分頭が夢の中のようだ。
看護師さんは困っていたし、間近で聞いていた妻はちょっとあきれていたらしい。

そして、尿管が刺さっている。
あえて「刺」という漢字をあてたい。
これが痛い。なんかものすごく痛い。
もともと足にはまだ感覚が全部戻っていないので足をじたばた動かすことはできないが、尿管のせいで少しも動かすことができない。
体勢をかえることができないのでこれがまた苦痛。

また、なぜか左足のかかとがものすごくひきずられたみたいな痛みがあったので、家族にアキレス腱の辺りにタオルを引いてもらった。

朦朧とした苦しみが続いたが、だんだん意識が鮮明になってくる。
それでも普段と比べたらぜんぜん意識レベルは低いわけだが、朦朧とした霧が少しずつ晴れていくというか。

会話も、単語がとぎれとぎれではあるが、なんとか意思疎通はできるようになった。
ただ、意識が戻ってくればくるほど、痛みに敏感になってくる。困ったことに。

ある程度慣れることはできるが、「いつまで続くのー!?」とつい弱気になってしまう。
ネブライザーが何度も止まり、そのたびにナースコールを使ってしまった。

脈拍やら血圧やら酸素量やらを表示する機器ICU内にはICU専門のナースステーションが存在する。
見渡せなかったが、私のベッドのすぐ横がそうだったようで、呼んだらすぐに駆けつけてくれる。
それ以外にもかなり短い間隔で定期的に看護師さんがやってくる。
検温、血圧の確認のほかに、目の反応を調べるために、両目とも外側からライトで光をあてたり、足の項を突っついてみたり(むくみや反応を見るため?)と、簡単な検査を何度もする。
「鼻の奥、水が流れるような感じはありませんか」
とも聞かれる。これは、髄液が漏れ出していないかをチェックするため。
特にそのようなことはなかったが、鼻水がつーっと流れるような事は何度があったのでそう伝えた。
実際、鼻から出たものを採取していたが、別に髄液ではなかったようだ。
髄液はもっとサラサラした粘性の少ないものらしい。
それでも心配なので些細なことでも伝えた。
結局心配は徒労に終わり、私は髄液漏については、手術中にも少なかったらしく、大丈夫だったようだ。
しかし、今後、この確認を何十回とされる。

途中、妻が脳神経外科の看護師に許可を得て飲み物を持ってきてくれて、それはそれは天使のように見えたのだが、ICUの看護師さんが、「1日は飲み物禁止です」と断った。
手術前の説明でも水分の摂取はできると聞いていただけに、妻はそれがすごく不満のようであったが、これは現場の判断だろうということになった。
気持ちだけありがたく頂戴した。

苦しいことは苦しかったが、いろんな方によって支えられて今現在無事手術を終えることができたという、感謝の気持ちで胸がいっぱいであった。

ICUにいる間、移動してCTとレントゲンを撮りにいった。
尿管やら点滴はそのままで、ベッドでそのまま搬送される。私は寝ているだけ。
CTは専用の台に移されるとき、なすがままであったが、さすがは皆さん、移動の方法を心得ていらして、振動などは最小限であった。頭痛が激化することもなかった。
レントゲンは頭部を上からと横から、それから胸部を上から。
元気なときは自分の身体を撮影機に合わせて変更していたが、ベッドに寝ている状態では、撮影機が横に回ったりしてくれた。頭の後ろに板を敷いたりしたが、これもさほど苦痛ではなかった。
またICUに帰る。

ICUにいるとき、一番つらかったのが、発作的な痺れと過呼吸だった。
突然、手足がひじ・ひざまでしびれ、腹部もへこむようになってしびれてきたのだ。頭痛がさらにひどくなり、意識とは別のところで呼吸が激しくなって自分では止められない。
思わず妻を呼んで手を握っていた、右手に妻、左手に父。やばい、死ぬかも、と思ったからだ。
見た目もかなりひどい発作だったのか、家族が看護師さんに連絡してくれた。
ほとんど薄れていく意識の中で、看護師さんが電話で主治医に「ものすごく苦しそうで・・・」と話しているのが聞こえた。
程なくして、鎮静剤が投与され、2・3分後には呼吸が収まり、しびれも弱くなった。効果テキメンだった。
主治医のチームは実は私の後にオペをしており、その最中であったのだが、電話から指示を出してくれたそうだ。ほっと一安心だったが、傍から見ていた家族も、一時はどうなることかと思ったそうだ。
軽く過呼吸になり、それが原因で身体の二酸化炭素濃度があがってしまったのだろうか?麻酔の影響も少なからずあるようだ。

こんな感じで、術後のICOでは、
・激しい頭痛(途中、座薬を入れたような気がする(これも初めて!)、また、常に氷枕だった)
・口の渇き(乾燥して舌と喉が痛い)
・痺れ
・体の痛み
・熱っぽさ
・尿管の痛み

に、終始へこまされていた。
このままICUで一晩過ごすことに。

家族は面会時間の19時ぎりぎりまで付き添ってくれたそうだ。

(つづく)

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●下垂体腫瘍闘病生活記15【入院手術後1 11月21日】

下垂体腫瘍闘病生活 , ,

厚さと漢字

4 月 4th, 2007

【厚さ】

公園課注意書き最近、こういう手書きの看板を見かけなくなりました。
こちら、妙にメンテがいいのか、綺麗に残っていますね。
弘明寺公園の、お墓側からの入り口付近にある注意書きです。
横浜市の公園課の方が綺麗に書いてくださっています。うーむ達筆。
こういう手作り感あふれる公共物ってすきです。コストも押さえられていいじゃないですか。

 

ちょっと画像が小さいのでテキストにしてみますと、下記のように書いてあります。

注意事項
この標示板より右上五メートル付近の道路面は、厚さ約三十五セチンの厚さで道路の下には戦時中の防空壕がありますので、車両重量一トン以上の石材等を搬入する場合は、特に危険がありますのでご注意ください。
横浜市 公園課

へぇ、この道の下には防空壕があるんだぁ。
なんか、時代や土地柄の背景がうかがえて、こういうのも好きです。
搬入物の代表が「石材」ってのも面白いですね。お墓が近いから石材が多いだろうと。
この気配りもいいじゃないですか。
「ご注意ください」ってことで、全面禁止になっていないところもなんかいいです。

ちょっと文章的に「あれ?」って思うようなねじれ具合(「厚さ」が重なっていたり)は含んでいますが・・・
厚さ35セチンの防空壕ってことは(たぶん)ないから、道路の厚さが35セチンで、その下が防空壕なんだろうなぁとか。

・・セチン。

そう。cmじゃなくて「セチン」。
「その単位って1セチン何センチ?」
とか意地悪な指摘はしません。
あら、間違っちゃったのね。・・・セチン。

意地悪とかじゃなくて、ためしに「セチン」で検索してみると結構あります。
この間違い。
でも、それってキーボードで打っているから起こり得るタイポであって、手書き、しかも毛筆で書き間違えるって、かなり珍しいなぁと。
下書き無しだったんでしょうかねぇ?すごいなぁ。
読み返したりしなかったんだろうか。
あ、もしかしてこれ、毛筆フォント使用ですか?

意地悪ではないんですが、ここを通るたびに読んでしまいます。はい。

【漢字】

asahi.comのニュースを奥さんに見せられました。

4月に「もやし」国際会議 「萌え」ブームに期待も
http://www.asahi.com/life/update/0324/004.html

4月に「もやし」国際会議 「萌え」ブームに期待も
2007年03月24日19時39分
 世界約20カ国のもやし生産者らが集まり、もやしの機能性についての研究成果や調理法などを報告する国際会議が4月16〜19日、東京などで開かれる。日本ではラーメンや中華料理の材料としてのイメージが強いもやしだが、欧米では健康野菜として注目されているという。漢字で書くと「萌(も)やし」。日本の生産者は「世は健康ブームに『萌え』ブーム。健康野菜としての認知度を高め、一層の消費拡大につながれば」と期待を寄せる。
 
 生産者団体「全日本豆萌工業組合連合会」(全萌連)によると、日本のもやし生産量は年間約50万トンに上る。国民1人あたり毎日約10グラムずつ食べている計算で、世界有数のもやし消費国という。

ほう・・・もやしって、漢字だと「萌やし」って書くんだぁ。
いや、それは全然いいにしても。
漢字がそうだからって、「萌え」ブームに期待ってなんですか?まじめですか?
「全日本豆萌工業組合連合会」(全萌連)ってその略し方・・・・。すげぇなぁ。

エイプリルフールのニュースかと思いきや、日付も違うし。
本当、これだけ読んだら虚構新聞かと間違えるほどじゃないですか?

Kyoko Shimbun News(虚構新聞社)
http://www.f7.dion.ne.jp/~moorend/news/

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